最期に逢った日
1年前の今日、ヒデちゃんと会った最期の日。
思い出す。
私 「明日は実家に行くから、病院に来れないよ。」
ヒデ 「えー、イヤだー、明日も来て〜」
私 「明日から外泊するんだから、どっちにしても無理じゃん。」
ヒデ 「次はいつ?」
私 「火曜日だよ。火曜日には、16時には来るよ。」
こんな会話をした。
ヒデちゃん、2泊3日(25日26日27日)での外泊許可をもらってた。
27日の月曜日18時までに病院に戻る約束。
こんな会話してたなぁ〜。。。
退院したら、こんなことして…あんなことして…リハビリ頑張ろうね!
とりあえずは、日常生活出来るかどうか…。
いろんな意味でに不安がいっぱいだった。
でも、事故当初の事を考えたら、驚くほどの快復!
私、迂闊だった…
外泊の注意事項、病院任せにしてた…
「なんで、病院は、何もしてくれないの?ケースワーカーさんは?看護師さんは?」
でも、よく考えたら、リハビリの先生、看護師さん、看護助手さん、医者、、、
みんなが人任せ。
だって、見た目には、ヒデちゃん、普通になってたから。。。
「人工骨が入ってるから、日常生活でも頭は、特に気をつけなきゃいけない」
「見た目は帽子だけど、帽子の中には内装が入ってる安全帽ってのがあるから、今後仕事をする時は、それをかぶるといいですよ。」
って、北大のドクターや看護師さん、看護助手さんに言われてた。
転院先の病院への注意事項にも、記載はしておきますって言われた。
でも、転院先から身元引受け人には、その連絡なし。
身元引き受け人も、3人変わったけど、みんな伝達されてない。
誰かのせいじゃなく…私が、ちゃんと伝えれば良かった。
ヒデちゃんのことだけに関して言えば、いろんな人が少しずつ関わっていて、みんなが、中途半端。
私は、ヒデちゃんから、「今日、看護師さんにこう言われた」とか、「こんなこと言われたけど、どうする?」って。。。
1番身近で聞いてた…でも、病院からの説明は、私ではない。
でも、北大では、身元引き受け人に経過報告をしたのと同じ事を私にも言ってくれてた。
多分、毎日通う私を、身内と思ってくれてなのか、担当の看護師さんの善意なのか…
私にはすごく有り難かった。
誰かのせいではない!
分かってるけど、分かっちゃいるけど、これが宿命だってことも分かってるけど、、
やっぱり、
やるせない…