溢れるくらい愛したい。
ここ札幌は、ツルツル路面。
歩くのも怖い…運転も怖い…
今日は、事務処理をしようと決め、銀行以外は外に出ず。。。
朝、目覚めて、真っ先に思うことは、ヒデちゃんのこと。
あれから、ずーっと、毎朝、ヒデちゃんがいない現実を思い知らされる。
毎日、朝が…朝が1番ツライ。。。
「ヒデちゃん、おはようだよ!」と、呟き起き上がる。
写真のヒデちゃん、祖父母の写真、歴代のニャンコ達の写真、
みなさんに「おはようございます。今日も1日、よろしくお願いします。」
と、ご挨拶。
もちろん、誰も、お返事はしてくれないけどね。
多分、私が死ぬまでの日課だろうね。
私の心の奥では、なかなか、ヒデちゃんのいない現実は受け止められない。
でも、表面上は、理解できてるんだよ。
私の実家の隣は、お寺。
住職さん一家とは、仲良し。
若住職とは、幼馴染。
お葬式があったり、法要があったり、月1回のお参りだったり、
保育園が併設してあったので、私はそこの保育園に通ってた。
私の幼少期は、子供が多かったのもあり、お寺で夏祭りに秋祭り、いろんなイベントがあった気がする。
お寺とは、すごく身近な存在だった。
幼少期から、「生あるものは、いつかは死ぬ」「出会いがあれば、いつかは別れがある」
みたいなことを、ずーっと住職さんや親に埋め込まれていたと思う。
ペットを飼う時も、「可愛い可愛いだけでは、飼えない。いつかは死ぬ、その覚悟はあるのか?」
そうやって、ペットを飼ってきた。。
精一杯お世話をし、過保護すぎるくらい、可愛がってしまう。
お見送りの時は、すごく悲しいけど、ペットを飼う時に覚悟をして飼ってるので、ペットロスにはならなかった。
犬も猫もウサギも魚も鳥も飼ってたけど、人間と寿命が違うから、ある程度の覚悟は出来る。
でも、人は?
自分の周りの年上の人から順番に…って思ってた。
最初は、祖父母であったり、近所のおじちゃんおばあちゃんだったり、おじさんおばさん…親…
みたいなことを勝手に思い込んでた。
でも、先に生まれた順番じゃない。
この世に生を受けた時に、死ぬ時期は決まってるんだろうね。
事故も病気も不慮の事故も…生を全うする人も。
ヒデちゃんも、きっと決まってたんだろうね。
この世で、私たちが出逢った意味もあったはず。
次に繋げるための出逢いだったのかも。
次に出逢う時は、ずーっと一緒にいられるかも!
私は恋人じゃなく、ヒデちゃんの親になりたいよ。
ヒデちゃんに愛情いっぱいあげたい。
溢れるくらい愛したい。
親子は何があっても、親子だもんね。